皆様こんばんは🌃
 
巷では朝から晩までWBCの話題で持ちきりですが、気が早いことに、もう次のWBCの監督の話まで出ています。

なんだかんだ、日本のプロスポーツではプロ野球が最も歴史があり、枠組みもしっかりしています。

結構、Jリーグはいい加減なところがあり、新人選手の獲得方法としては青田買いで入るシステムらしく、それ以外ではジュニアチームからそのまま新人選手としてステップアップの通例だとか
(Jリーグ全く詳しくないので間違っていたら申し分ありません)

で、CSのプロ野球ニュースを見ていたところ、聞き慣れない言葉がアナウンスされました。

"現役ドラフト"


これは中堅クラス、或いはチーム事情等でくすぶっている選手を他チームからピックアップし、獲得出来るシステムで、まだ今年から導入されたばかり。

色々賛否両論あるみたいですが、こういうシステムをバレーボールでも出来ないだろうか、とふと考えてみました。

要するに、プロテクトしていない選手なら移籍可能になる訳ですが、上手く使えば翌年の戦力補強に大いに役立ちますし、この現役ドラフトに限らず、シーズン中の移籍が行われると、戦力図そのものが大きく変わる可能性もあります。

今年などは各チーム故障者続出で、内定選手が入るまで戦力補強も出来ないまま闘うのは中々しんどいかと思います。

プロ野球だとトレードはいつまで、という期間に制限が設けられていますが、新リーグになったら枠組みだけ変えるのではなく、選手の獲得、移籍についても明確なルールを変えたほうがよいかと思います。


この話が出たついでに。

国際大会の出場選手が概ね14名なのに、オリンピックだけ未だに12名はおかしいとずっと言い続けています。

それ、リベロ制がなかった頃の話ではありませんか?

良く考えて下さい。

各ポジション6名×控えで既に12名です。

アウトサイド6名、ミドル3名、セッター2名、リベロ1名がオーソドックスなスタイル。

かつてのアメリカのようにセッター3枚にするチームもありますが少数派。

ミドル4名要らないと言えばそれまでですが、14名と12名とではえらい違い。

リベロ2名確保出来ればその分ディグ専用のリベロも起用出来ますし、アウトサイドが複数枚いれば戦術的にかなり幅が出来ます。

そろそろちゃんと見直すべきと思います。




さて、先日綴りましたV-1各チームの監督を武将に例えると、誰に該当するか?

今日はその第二弾。

前回通り、傾向がまだ分からない監督も多いので、在籍年数継続3年以上の監督さんだけに絞ります。


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NECレッドロケッツ・金子隆行監督

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細川藤孝

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結構マニアックな人選になりますが、のちの歴史を思うと、ある意味重要な人物です。

元々は足利15代将軍・義昭公の家臣で、名門細川家の傍流として織田信長との狭間で生き残り、本能寺の変では娘・細川ガラシャの婿である明智光秀からの加勢嘆願を信長公の喪に服すという理由で固辞。

難しい状況の中、世の動向をきちんと見定め生き抜いた人物で、豊臣秀吉、徳川家康に重用され、関ヶ原の戦いでは東軍に付き、田辺城の戦いでは僅か500人の手勢で頑強に抵抗し、最終的に 落城寸前ながら講和に持ち込み、東軍の勝利に貢献したことで細川家は以後、小倉39万石(後に肥後54万石に転封)を拝領し、以後の繁栄を築きました。

有職故実にも長け、名門細川家の名を残した歌人、文化人でしたが、いざというときは毅然とした態度で自らの意志を貫き、道を切り開いた武将で、正統な源氏の一族でもあります。


名将・山田晃豊監督のあとを受ける難しい立場からの5シーズン目。

まだ3位止まりですが、今年は天皇杯・皇后杯で待望の初タイトルを獲得。以後の繁栄を築けるか、ここが勝負どころです。



日立astemoリヴァーレ・多治見麻子監督

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大久保忠世

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この武将、戦国好きでないとイメージ沸かないかもしれません。

徳川家康の家臣として長く働き、三方ヶ原の戦いや長篠の戦い、第一次上田合戦など徳川家の主だったいくさに参陣し武功を上げた三河以来の忠臣で、後北条氏滅亡後の小田原藩の初代藩主に就任しました。

当時、小田原藩は北条王国で善政を敷いていたこともあり、徳川領となっても中々難しかったと聞きます。

その後、息子の忠隣の時に幕臣同士の派閥争いが起き、大久保長安事件に連座したとして一旦改易となるも、忠隣の孫の忠朝の代に小田原藩へ復帰。

以後、この地を幕末まで治めます。


多治見麻子監督はトヨタ車体の時代から足掛け7年監督、2チームの監督を務めていますが、まだ優勝経験がなく、最上位は3位まで。

現在の日立も7位が最上位で頭打ちの状況が続いていますが、勝てる土台をしっかり作る手腕は評価されています。


忠勤に励み、生き馬の目を抜く戦国を逞しく生き抜き、後世に続く小田原藩の礎を築いた百戦錬磨の猛者である大久保忠世のように、真価が問われるのはこれからかもしれません。




岡山シーガルズ・河本昭義監督


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この方はズバリ、このタイプかも。

真田昌幸

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武田家の家臣として活躍し、その武田家が織田信長に滅ぼされた後、織田に臣従。以後、上杉、徳川、北条、上杉と次々と主君を変え、怒った徳川家康から派遣された8000の軍勢を上田城にて2000の手勢で打ち破り、以後、豊臣秀吉の家臣として生き残るしたたかさといくさの強さから、表裏比興の者と称された戦国きっての強者。

関ヶ原の戦いでは西軍につき関ヶ原に向かう徳川秀忠の3万8000の大軍を5000にも満たない兵力で手玉にとるも、東軍が勝利したため、九度山に配流されましたが、有名な犬伏の別れにて嫡男信之を東軍につかせ、どちらが勝っても真田は生き残るという苦渋の選択をしました。

その結果、真田信之は9万5000石の大名として生き残り、幕末まで存続します。

もう一人の息子、信繁は真田幸村として勇名を馳せ、大坂の陣では真田丸の攻防にて徳川軍に大打撃を与え、夏の陣では家康を自刃寸前まで追い込み、日の本一の兵と表され、天下に名を轟かせました。

相手ブロックを利用するブロックアウト、頑強なディグ。その神出鬼没な戦略ぶりや選手起用、そして、唯一の市民クラブチームとしてしたたかさに生き抜くその姿は真田昌幸を彷彿させるものがあります。

今季は苦しい闘いが続いていますが、持ち前のしぶとさとしたたかさで勝ち抜いて欲しいです。