JTマーヴェラスはVプレミアリーグに復帰して初年度4位の好成績を収めた。
勿論、選手もチームも、このポジションには満足していない。
JTは全員バレーと良く言われる。
繋いで拾って、勝負を簡単に投げない。
競り合いの強さは特筆もので
吉原知子監督の闘魂が随所に滲み出ている。
そんなJTマーヴェラスの攻守の要は、中村亜友美選手。
トレードマークはサウスポーから繰り出す、必殺のジャンプサーブ。オヌマー選手もジャンプサーブの使い手だが、左右のジャンプサーブはJT攻勢の見せ場。
栗原恵選手に憧れ、誠栄高校に入学した彼女は奥村麻依選手とともに春高ベスト4、国体優勝を成し遂げる。
高校卒業後、二人はそれぞれ日体大、嘉悦大に進路を進めていくのだが、再びJTマーヴェラスでチームメイトとなる。それは少し先のお話。
日体大では、2010年全日本インカレ3位に入賞。翌2011年にはユニバーシアードで4位に入賞し、同年全日本インカレで準優勝を果たす。
これらの成果が認められ、2012年全日本シニアにも招集される。そして同年12月、内定選手としてJTマーヴェラスに入団。
ここで奥村選手と再会を果たす。
しかし、2013年というのはバレー界、そしてJTマーヴェラスにとっても微妙な時期だった。
ロンドンオリンピック後のこの年、全日本は第二期眞鍋ジャパンの体制組み直しの時期。
若手選手が大挙、全日本に押し寄せる。
中村選手や奥村選手も、勿論、その中にいた。
中村選手はモントルー・バレーマスターズで全日本デビューを果たす。
しかし、JTにとっては苦難の時期を迎えていた。
竹下、大友選手らが抜け、若手中心となっていたJTは2013/14シーズン7位と低迷。チャレンジマッチにて上尾メディックスに敗れ、チャレンジリーグへ降格を余儀なくされる。
翌2014/15シーズンは力の違いを見せ17勝1敗の好成績で優勝。しかし、チャレンジマッチではトヨタ車体に第一戦を先勝するも第二戦を1ー3で落とし、悔し涙を流す。
この鬱憤を同年の黒鷲旗大会で晴らし、決勝戦で因縁のトヨタ車体をストレートで下し、見事優勝。すっかりベテランが抜け、中村選手もチームの中核となった。
そんな中、新監督として吉原知子監督が就任。以後の指揮を執ることとなった。
元々チャレンジリーグでは力が違うJTは、吉原監督の闘魂注入で更にパワーアップ。
翌2015/16シーズンは他チームに影も踏ませぬ全勝優勝を飾り、因縁の上尾メディックスとのチャレンジマッチではニ戦ともストレート勝ちの完勝で、二年ぶりのVプレミア復帰を果たす。
勢いに乗るチームは同年の黒鷲旗も制し、大会連覇を達成。
勇躍臨んだ2016/17シーズン。
開幕戦は因縁浅からぬトヨタ車体。
これをものともせずストレートで下すと、前半を6勝2敗の好成績で切り抜け、優勝争いに早くも加わる。
が、プレミアは日進月歩。
JTはすぐに弱点を狙われる。
エースオヌマー選手をアタックで狙われたり、サーブで攻められたり。
これらは常道だからやむを得ないが、出る杭は打たれる。
勿論、攻守の要の中村選手が狙われない筈がない。
更に前に落とすサーブでミドルにサーブレシーブをさせ、奥村選手の速攻を封じ込める。
こうなるとコンビが売りのJTは苦戦。
更に高さのないJTはサーブで崩されブロックでシャット。成績は下降線を辿った。
ここでJTはサーブレシーブを強化。
中村選手を軸に田中瑞稀選手が上達。
更に井上琴絵選手をレシーバーに加え復活。
再び上位争いに加わっていく。
だが、終盤、各チームとも故障者が続出する中、JTも無関係ではなかった。
エースのオヌマー選手が体調不良。
陣営は急遽橘井選手を抜擢し、これに応えるも、さすがにエース不在では無理があった。
それでもチームは諦めない。
すでにファイナル3進出を逃した最終戦の日立リヴァーレとの一戦。
日立がどこか気抜けする中、最後の最後まで勝利への執念を見せる。
試合は優勝決定戦さながらの大熱戦となり、JTは2016/17シーズンのラストマッチを勝利で飾った。
結果がどうであれ、最後までベストを尽くす、その精神が息づいていた。
あれから二か月。
JTはさらなる挑戦に挑む。
それは無論、黒鷲旗大会の3連覇。
今後JTはますます強くなるだろう。
だが、それは他チームも同様。
切磋琢磨はもう始まっている。
そして、必殺のサウスポーが躍進する。
攻守の要として、最後の黒鷲旗大会三連覇を果たすために。
勿論、選手もチームも、このポジションには満足していない。
JTは全員バレーと良く言われる。
繋いで拾って、勝負を簡単に投げない。
競り合いの強さは特筆もので
吉原知子監督の闘魂が随所に滲み出ている。
そんなJTマーヴェラスの攻守の要は、中村亜友美選手。
トレードマークはサウスポーから繰り出す、必殺のジャンプサーブ。オヌマー選手もジャンプサーブの使い手だが、左右のジャンプサーブはJT攻勢の見せ場。
栗原恵選手に憧れ、誠栄高校に入学した彼女は奥村麻依選手とともに春高ベスト4、国体優勝を成し遂げる。
高校卒業後、二人はそれぞれ日体大、嘉悦大に進路を進めていくのだが、再びJTマーヴェラスでチームメイトとなる。それは少し先のお話。
日体大では、2010年全日本インカレ3位に入賞。翌2011年にはユニバーシアードで4位に入賞し、同年全日本インカレで準優勝を果たす。
これらの成果が認められ、2012年全日本シニアにも招集される。そして同年12月、内定選手としてJTマーヴェラスに入団。
ここで奥村選手と再会を果たす。
しかし、2013年というのはバレー界、そしてJTマーヴェラスにとっても微妙な時期だった。
ロンドンオリンピック後のこの年、全日本は第二期眞鍋ジャパンの体制組み直しの時期。
若手選手が大挙、全日本に押し寄せる。
中村選手や奥村選手も、勿論、その中にいた。
中村選手はモントルー・バレーマスターズで全日本デビューを果たす。
しかし、JTにとっては苦難の時期を迎えていた。
竹下、大友選手らが抜け、若手中心となっていたJTは2013/14シーズン7位と低迷。チャレンジマッチにて上尾メディックスに敗れ、チャレンジリーグへ降格を余儀なくされる。
翌2014/15シーズンは力の違いを見せ17勝1敗の好成績で優勝。しかし、チャレンジマッチではトヨタ車体に第一戦を先勝するも第二戦を1ー3で落とし、悔し涙を流す。
この鬱憤を同年の黒鷲旗大会で晴らし、決勝戦で因縁のトヨタ車体をストレートで下し、見事優勝。すっかりベテランが抜け、中村選手もチームの中核となった。
そんな中、新監督として吉原知子監督が就任。以後の指揮を執ることとなった。
元々チャレンジリーグでは力が違うJTは、吉原監督の闘魂注入で更にパワーアップ。
翌2015/16シーズンは他チームに影も踏ませぬ全勝優勝を飾り、因縁の上尾メディックスとのチャレンジマッチではニ戦ともストレート勝ちの完勝で、二年ぶりのVプレミア復帰を果たす。
勢いに乗るチームは同年の黒鷲旗も制し、大会連覇を達成。
勇躍臨んだ2016/17シーズン。
開幕戦は因縁浅からぬトヨタ車体。
これをものともせずストレートで下すと、前半を6勝2敗の好成績で切り抜け、優勝争いに早くも加わる。
が、プレミアは日進月歩。
JTはすぐに弱点を狙われる。
エースオヌマー選手をアタックで狙われたり、サーブで攻められたり。
これらは常道だからやむを得ないが、出る杭は打たれる。
勿論、攻守の要の中村選手が狙われない筈がない。
更に前に落とすサーブでミドルにサーブレシーブをさせ、奥村選手の速攻を封じ込める。
こうなるとコンビが売りのJTは苦戦。
更に高さのないJTはサーブで崩されブロックでシャット。成績は下降線を辿った。
ここでJTはサーブレシーブを強化。
中村選手を軸に田中瑞稀選手が上達。
更に井上琴絵選手をレシーバーに加え復活。
再び上位争いに加わっていく。
だが、終盤、各チームとも故障者が続出する中、JTも無関係ではなかった。
エースのオヌマー選手が体調不良。
陣営は急遽橘井選手を抜擢し、これに応えるも、さすがにエース不在では無理があった。
それでもチームは諦めない。
すでにファイナル3進出を逃した最終戦の日立リヴァーレとの一戦。
日立がどこか気抜けする中、最後の最後まで勝利への執念を見せる。
試合は優勝決定戦さながらの大熱戦となり、JTは2016/17シーズンのラストマッチを勝利で飾った。
結果がどうであれ、最後までベストを尽くす、その精神が息づいていた。
あれから二か月。
JTはさらなる挑戦に挑む。
それは無論、黒鷲旗大会の3連覇。
今後JTはますます強くなるだろう。
だが、それは他チームも同様。
切磋琢磨はもう始まっている。
そして、必殺のサウスポーが躍進する。
攻守の要として、最後の黒鷲旗大会三連覇を果たすために。
この記事を発表して数時間しか経過しておりませんが、JTマーヴェラスより、来季の人事に関する発表がございました。
【退団選手】
オヌマー・シッティラック選手
位田愛選手
安藤典莉子選手
中村亜友美選手
高橋昌美選手
オヌマー選手はすでに帰国しており、5/2(火)~5/7(日)に大阪市中央体育館で開催されます「第66回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」には出場いたしません。
なお、退部選手5名の今後については未定とのことです。
正直、記事を掲載したばかりでショックは大きいですが、今はただお疲れ様でした、とお声を掛けさせて頂きたく存じます。
【退団選手】
オヌマー・シッティラック選手
位田愛選手
安藤典莉子選手
中村亜友美選手
高橋昌美選手
オヌマー選手はすでに帰国しており、5/2(火)~5/7(日)に大阪市中央体育館で開催されます「第66回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会」には出場いたしません。
なお、退部選手5名の今後については未定とのことです。
正直、記事を掲載したばかりでショックは大きいですが、今はただお疲れ様でした、とお声を掛けさせて頂きたく存じます。
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