石田選手は苦労人である。
いく先々で波乱万丈な人生を歩み
そして、今ここにいる。

来季は再び、Vプレミアリーグ。
そこへたどり着いたのも
石田選手のたゆまぬ努力と
忍耐強さから。

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かつて世界ジュニア選手権で活躍した少女は
いつのまにかキャリア十分のベテランとなった。

そんな石田選手は中学時代からJOC杯で県メンバーとして出場。高崎商大附高校にて春高で活躍。キャプテンとしてアジアジュニア選手権準優勝、世界ジュニア選手権3位の原動力となる。

注目プレイヤーだった石田選手がその後の進路に選んだのは武富士バンブー。
しかし、2009年限りで廃部となると、石田選手は久光製薬スプリングスへ移籍。この年、全日本シニアにも初選出されるなど、転機の一年となった。

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翌年の世界バレーで活躍し、32年ぶりの銅メダル獲得に貢献する。

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これを機に石田選手は、第一期眞鍋ジャパンの主力メンバーとして活躍するようになる。

石田選手と言えば必殺のサーブ。
あのブラジルですら嫌がるほどのサーブの持ち主。

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翌年、2011年のワールドカップにも出場した石田選手。勿論、目標はロンドンオリンピック出場。しかし、熟考に熟考を重ねた末、石田選手はメンバーから漏れるのだが、眞鍋監督たっての願いにより、リザーブメンバーとして帯同する。


それも全ては石田選手の実力や頑張りをチーム全体が認めていたからこそ。

ところがお母さんの重病で緊急帰国。
このことがかえって、チームの結束力を高め、チームは試合に勝つたびに石田選手のユニフォームを掲げ、勝利を報告。
そして、親友の迫田さおり選手は、準々決勝以降、石田選手のユニフォームを下に重ね着して試合に望み、銅メダルを獲得した。

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影のMVPであった。

ところが、石田選手には更なる苦難が待っていた。2013/14シーズン、久光製薬スプリングスのキャプテンを務めていた石田選手だが、この年限りで退団を決め、デンソーエアリービーズへの移籍を決意。しかし、久光側は移籍同意書に合意せず、一年間の試合出場停止を余儀なくされる。

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しかし忍従の時を過ごした石田選手を、翌年、デンソーはキャプテンという形で迎え入れ、後事を託される。
迎えた2015/16シーズン。
新キャプテンになった石田選手は燃えた。

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開幕戦の岡山シーガルズ、続くトヨタ車体との一戦をともにフルセットの末に下し、開幕2連勝。しかし、東レ、日立、NECに三連敗し、迎えた相手は因縁の久光製薬スプリングス。
この試合もまたフルセットとなり、最後はデンソーの意地が勝り勝利する。

中盤まで5位圏内にいたデンソーだが、石田選手が負傷欠場するとチームは下降線を辿り、終盤間に合わせるも建て直しを計れず、8勝13敗で3チームが並ぶ僅差ながら7位へ急降下。

この年は勝ち星よりもポイント優先。フルセットの多いデンソーにとっては不利なルールであった。

PFUブルーキャッツとのチャレンジマッチでは初戦をストレートで落とすと、続く第二戦、勝利を奪うもセット数で下回り、チャレンジリーグⅠへの降格が決まる。


しかし、それで意気消沈するほど石田選手は弱くない。

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デンソーは若手中心に切り替えつつも開幕から白星を重ねる。石田選手自身はリーグ中盤あたりから本格始動、鍋谷選手とともに攻守の要として活躍。敵は上尾メディックスただひとつ。
この年デンソーは19勝2敗の好成績。
敗れたのはいずれも上尾だが、ともにフルセット。結果として上尾にストレート勝ちした試合が優勝をもたらした。

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迎えた因縁のPFUブルーキャッツとのチャレンジマッチ。初戦はPFUの意地の前にフルセットに持ち込まれるが、最終セット、デンソーの意地が勝り先勝。この試合で石田選手は19得点を上げ奮戦した。

これで勢いに乗ったデンソーは、翌日の試合をストレートで破り、Vプレミアリーグへの復帰を果たした。

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竹下佳江さん曰く、人を押し退けてでも上に行こうとする欲のない石田選手は、地道で陰日向のない努力家。

周囲の状況がどうだろうと、自らの信念を貫き、コートに立つ。影となり、ひなたとなり頑張る姿でチームを引っ張り、それが存在感となる。

来季、デンソーエアリービーズが再びプレミアリーグで闘うために、今日もコートに立つ。

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それがあなたの、生きる道。
勿論、目指すは頂上。