Vプレミアリーグ2016/17シーズン。
日本のバレーボール界を背負い続けてきた
この選手の現役生活が幕を閉じる。

10年にひとり、奇跡のバレーボーラー。

4回のオリンピック。

ロンドンオリンピックのエースと言えば
そう、誰もがよく知る

みんな大好き、木村沙織選手。

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内心ヒヤヒヤした。
東レがファイナル6で敗退してからでは遅い。
願いは通じて、間に合った。

彼女には笑顔がよく似合う。


木村選手のことはこれまで何度となく語り継がれてきた。実際、筆者も「全日本女子バレーボールの今日、そして明日」にて何度となく特集を組ませて貰った。


何しろ木村選手はこの十数年、女子バレーボール界の顔。
いや、バレーボールを問わず、女子アスリートの中でも有名人。

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お嫁さんにしたいスポーツ選手にも堂々1位に輝いている。


・コートネーム:サオリ

・生年月日1986/08/19

・身長(cm):185.0

・最高到達点(cm)304.0

・サージャントジャンプ(cm)65.0

・出身地東京都あきる野市

・出身校・前所属チーム:

下北沢成徳高校
東レアローズ
ワクフバンク・スポーツクラブ
ガラタサライ・ダイキン
東レアローズ



■個人成績・戦績:


・個人タイトル


・成徳学園中学

JVA・JOCカップ


・下北沢成徳高校


・東レアローズ

2006年Vリーグ新人王

2007/2008 Vプレミアリーグ ベスト6

2008/2009 Vプレミアリーグ ベスト6

2009年日韓トップマッチ MIP

第58回黒鷲旗大会 最優秀選手

同ベスト6

2009/2010 Vプレミアリーグ MVP

同ベスト6

同Vリーグ日本記録賞

2010/11 Vプレミアリーグ 敢闘賞

同ベスト6

2011/12 Vプレミアリーグ ベスト6




・全日本


第13回U-20世界ジュニア選手権ベストスコアラー

2007年アジアカップ ベストサーバー賞

2010トリノ国際大会 MVP

同ベストサーバー賞

ワールドグランプリ2010 ベストスコアラー

2016年 第66回日本スポーツ賞 競技団体別最優秀賞


・団体成績

・全日本

2007年アジア選手権 優勝

2010トリノ国際大会 優勝

2010年世界選手権 銅メダル

2012年ロンドンオリンピック 銅メダル

2013年ワールドグランドチャンピオンズカップ 銅メダル

ワールドグランプリ2014 銀メダル



・Vプレミアリーグ

東レアローズ

2007年天皇杯・皇后杯優勝

2007/2008 Vプレミアリーグ優勝

2008/2009 Vプレミアリーグ優勝

第58回黒鷲旗大会 優勝

2009/2010 Vプレミアリーグ優勝

2010年 日韓トップマッチ優勝

第59回黒鷲旗大会 優勝

2011/12 Vプレミアリーグ優勝


・欧州チャンピオンズリーグ

ワクフバンク・テュルクテレコム

欧州チャンピオンズリーグ 優勝



・高校

下北沢成徳高校

第34回全日本高等学校選手権大会 優勝

第56回全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会 3位

第35回 全日本高等学校選手権大会 準優勝


・成徳学園中学

全国都道府県対抗中学バレーボール大会 優勝(東京都)


なんともはや、一冊の本になってしまうぐらいの物凄い成績。これだけでも木村選手の功績が如何に凄いかを如実に表している。

しかも、本人はあまりそうしたことにこだわらない性格らしく、獲得したメダルは無造作に置かれているそうな。

それも彼女が大物であるが故。



バレー界にひとつの金字塔を打ち立てた木村選手だが、バレー界に「さおり」は多い。

迫田さおり選手、高橋沙織選手、宇田沙織選手、実は仙台ベルフィーユにもかつて「木村沙織」選手が在籍していたが、こちらは同姓同名。

その中でも「沙織」の名前は、木村選手が本家。

彼女から広く世間に広まった。

そんな木村選手に初めてついたキャッチフレーズが「スーパー女子高生」

彼女は高校時代で既に全日本シニア入り。高校2年でワールドカップ出場を果たしている。

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当時の彼女はオリンピックとワールドカップの違いもわからなかったそうで、頓着のないところも、また、木村選手らしい。

今でこそ全日本のエースと言えば木村選手だが、その昔、木村選手にはセッター転向の話もあった。

柳本監督時代、メグカナこと栗原恵選手や大山加奈選手、荒木絵里香選手、宝来麻紀子選手など日本のバレー界では極めて稀な大型選手が目白押しで、器用な木村選手に白羽の矢が立ったのだが、実現しないままお蔵入りした。


後のことを考えると、とんでもな話だが、人生はどこでどう転ぶか分からない。

そんな彼女に大きな転機があるとしたら、幾つかある。

東レアローズの主力メンバーとしてVプレミアリーグ三連覇に輝いたこと。

そして、眞鍋ジャパンへの参加。

大別してこの二つだろう。

過去、前人未到の三連覇を達成した東レは大山、荒木選手と言った母校の先輩選手を初め、中道、濱口、高田、迫田選手といった黄金時代を築いた選手たちが全日本への道を切り開いた。

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彼女の歩みは東レの歩みでもあった。

そして

彼女自身、本当の意味での開眼は眞鍋監督との出会いからと語っており、事実、全日本のエースとして一皮も二皮も剥けたのは眞鍋ジャパン体制から。

実質、眞鍋ジャパンの主役は彼女だった。

2010年世界バレーで閉ざされていた世界の壁を打ち破った時も、4位ながらブラジルとアメリカに勝利した時も、木村選手は常にその中心にいた。

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ロンドンオリンピックでは、今や伝説となる中国戦、フルセットの死闘。そして韓国戦でのストレート勝ちで銅メダルを獲得した時も、彼女の活躍があればこそ。

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ロンドン後、トルコリーグに移籍し、引退を決意していた木村選手を説得し、キャプテンへと導いたのは眞鍋監督。

二人は文字通り、二人三脚で全日本女子バレーボールチームを率いてきた。

元々人前で話すのが苦手な木村選手。人生最初で最後のキャプテンとして成長させたのは眞鍋監督の功績であり、そして、何よりも木村選手自身が努力したからに他ならない。

キャプテンとして後進の指導にあたり、自分自身を後回しにし、フラストレーションが溜まることもあった。

自分の背中で見せることで、全日本を引っ張る立場にまで成長したのは、実質2009年から。

おそらく、木村選手自身が全日本のキャプテンになる自分自身を想像していなかっただろう。

だから、人生は面白い。

この4年間、木村選手はワクフバンクからガラタサライへ移籍し、そして東レアローズへ戻ってきた。
その間、全日本はMB1からハイブリッド6と進化を遂げ、そして頓挫した。

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それでも、キャプテンには全日本という重い十字架を背負い、勝たなくてはならない使命がある。

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選手として満足なプレイができないこともあった。
OQTでは小指の脱臼に見舞われ、手負いで奮戦し、イタリア戦では獅子奮迅の31得点を上げ、リオへの切符をもぎ取った。

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おっとりしているようで、内に秘めた闘争心は相当のもの。あの竹下佳江さんが手放しで誉める、数少ない選手。

満足のいく結果とは言えなかったリオデジャネイロオリンピックだが、最後に意地を見せてくれたのも木村沙織選手。

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最後の試合となったアメリカ戦の第三セット、怒涛の7連続得点は木村沙織選手の存在があればこそ。

正直、逆境から這い上がることを体現して見せた木村選手の活躍がなければ、ファンはやり場所のないフラストレーションを溜めていたことだろう。

彼女のガッツプレイに日本中が救われた。


今は、全日本女子バレーボールチームではない、東レアローズの1バレーボーラー。

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その舞台もあと数戦で幕が閉じる。

果たして、それが今週末なのか
それとも、ファイナル3なのか
ファイナルなのか

今はまだ、分からない。

ただ、ファンは信じる。
最後を華々しく飾ることを。

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木村選手、あなたに涙は似合いません。
見たいのは、笑顔。

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そして、もし涙を流すのなら

〜負けて悔し涙を流すのではなく、
勝って嬉し涙を流しなさい〜

木村沙織選手のお母さんの言葉。





追伸
好評頂きました月刊シリーズは、今回を以って今年度の発刊を休止します。

尚、今年度に関しては、増刊ないし別冊という形での発刊を検討しております。
詳細が決まり次第、追ってご報告いたします。