夢は諦めずに持ち続け、努力し続けることで叶う。

大きな故障も経験した。
妥協していれば、その続きはなかっただろう。
決して完調ではない状態から這い上がり
一度は外れた全日本へ、首の皮一枚で加わった。

前を向き続けることで掴みとったリオの切符。

夢はまだ続いている。
微塵も満足していない。
リオが終わって尚、次の目標に向けて、誰よりも早くスタートダッシュを決めた。

オリンピアの夢を叶えた今
勿論、次の目標は東京オリンピック。

誰よりも熱く
誰よりも前を見据えて

座安琴希選手。


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・コートネーム:コト

・シャツネーム:ZAYASU

・生年月日:1990/01/11

・身長(cm):159.0

・最高到達点(cm):272.0

・出身地:沖縄県

・出身校・前所属チーム:中部商業高校→久光製薬スプリングス→RCカンヌ(レンタル移籍)


■個人成績・戦績:


・個人タイトル

久光製薬スプリングス

2009 VサマーリーグMVP

2011/12 Vプレミアリーグ ベストリベロ賞

同サーブレシーブ賞

2012/13 Vプレミアリーグ ベストリベロ賞

同サーブレシーブ賞

第62回黒鷲旗大会 ベストリベロ賞

2015年 モントルー・バレーマスターズ ベストリベロ賞



・団体成績

・全日本

2011年モントルーバレーマスターズ 優勝


・Vプレミアリーグ

久光製薬スプリングス

2012/2013 Vプレミアリーグ 優勝

2015/2016 Vプレミアリーグ 優勝

2013年日韓トップマッチ優勝

第62回黒鷲旗大会 優勝

平成24年度 天皇杯・皇后杯 優勝

平成25年度 天皇杯・皇后杯 優勝

平成27年度 天皇杯・皇后杯 優勝

第67回国体優勝


・高校

中部商業高校


高校時代はセッター。
春高や国体に出場。主将を務めた。
久光製薬スプリングスに入団後、守備力を買われリベロに転向した。

当時、チームには世界一のリベロ・佐野優子選手が在籍していた。
その佐野選手がアゼルバイジャンのイトゥサチ・バクーに移籍。チャンスが巡ってくる。
座安選手はセッター経験を活かし、オーバーハンドレシーブを活かしたセットアップの出来るリベロとして2011/12シーズンからレギュラー
獲得。サーブレシーブ成功率2位の成績を収め、頭角を現す。

躍進は続き、全日本シニアに初選出。モントルー・バレーマスターズでベストリベロ賞に輝き、日本の初優勝に貢献。ワールドカップで日本デビューを果たす。

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更に2012/13シーズン、Vプレミアリーグにてチームの優勝に貢献。サーブレシーブ賞とベストリベロ賞にも輝くも、ロンドンオリンピックの出場を逃す。

後日談にて眞鍋政義監督は、人選の最後まで悩んだのが座安選手だったという。

それぐらい、チームにとって必要な選手と評価されていたからに他ならない。

大きな声でチームを鼓舞し、率先して練習に取り組み、人が嫌がる雑用なども黙々とこなす真摯な態度が高く評価されたからだ。

そんな座安選手の次の目標は、リオデジャネイロオリンピック出場となった。

佐野選手が一線を退いた中、座安選手は次の全日本のレギュラーとして期待されながら、膝の故障が悪化。世界バレー・アジア最終予選以降、出場が見送られ、グラチャンではメンバー入りするも試合の出場はなく、レギュラーリベロの座を佐藤あり紗選手へ譲ることになった。

座安選手は膝の治療のため、1年間の療養を余儀なくされる。

文字通り、忍従の時を過ごす。

座安選手が復帰したのは、2014年サマーリーグ。約1年間の時を経てコートに戻った座安選手は、久光のレギュラーとして2014/15シーズンから復帰。しかも、キャプテンとして。

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座安選手はチームメイトからの信望も厚いチームの精神的支柱。中田監督も「久光はコトキ」、「チームの中間管理職」と呼ぶほど信頼を置かれている。

チームはシーズンを通じて22勝5敗と圧倒的成績を収めながらNECレッドロケッツに破れ、三連覇を逃すが、シーズンを通じてキャプテンとして活躍し、座安選手はサーブレシーブ成功率は新鍋選手と僅差の堂々2位、見事に復活した。

そして、この活躍を期に、座安選手は満を持して再び全日本へ復帰する。

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古賀紗理那、宮部藍梨選手ら新たな時代を担うエース候補を迎え、ミドル二枚のオーソドックスなスタイルに戻した中、座安選手は佐藤澪選手とともにコートを守り、
ワールドカップでは上位チーム以外全てに勝ち、ストレート負けゼロと善戦健闘した。

来年へのほのかな期待を他所に、座安選手は出遅れる。

迎えたVプレミアリーグ2015/16シーズンでは故障で前半を棒に降り、後半に復帰。ファイナル6には間に合うも、本領発揮とは言えず、チームが逆転優勝を成し遂げるなか、全日本のメンバーには名を連ねなかった。

ところが一転、サーブレシーブの強化のため、レシーバーとして急遽緊急招集。

閉ざされかけた門戸が開いた。

レシーバーはリベロとは違う。
ポジショニングも違うし、サイドアタッカーが後衛に下がったときだけ入る。
座安選手はこの急な要請に応え、レシーバーとして参加。見事、OQTを突破すると、リオデジャネイロオリンピックの12名の栄誉に授かった。

全ては座安選手の献身的な努力があればこそ。

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しかし、守りを重視したこの布陣とて起死回生の打開策にはならず、予選リーグから苦戦。日本は準々決勝でアメリカに敗れ涙を呑んだ。

ところが、これで落胆するどころか、すぐに次の進路を決めたのは、他ならぬ座安選手。

リオデジャネイロオリンピックの余韻冷めやらぬうちに、いち早く次の進路を決めた。

向かった先はフランスリーグ・RCカンヌ。
かつてチームの先輩、佐野優子選手や江畑幸子選手も席を置いたフランスの名門チーム。

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座安選手は「サーブレシーブ、ディグ(スパイクレシーブ)が数字として良くならないといけない。まだ修業が必要」と課題を挙げ「精神的にも技術的にも、パワーアップして戻ってこられるよう、全力を尽くす」と力強く語った。

彼女の闘争心、そして挑戦は微塵も消えていない。これはまだ、次へのステップへの始まりでしかない。

次とは勿論、2020年東京オリンピック。

無条件で出場が認められる以上、やるべきことは東京オリンピックの出場メンバーに選出されること。

そのための人選は、もう始まっている。

監督も恩師・中田久美監督に交代。
全日本新時代の中心となるよう、不動の守護神となるよう、新たなる挑戦は続く。

遠く離れたフランスの地で逞しく生きる座安選手。

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自らが思い描く、最高の舞台で活躍するために
頑張れ、座安琴希選手。


今はただ、全日本での再会、その時を待つ。