人は皆、辿り着きたい場所とか
こうなりたい自分とかがある。

これを理想という。

一度でも華やかな経験をしてしまうと
人間はそこを目指してくる。

普通に考えれば
県大会でも上位に行けば
世間では凄いね、と称賛される。

野球でも甲子園に出場すれば、
それだけで一目も二目も置かれる。

ましてや彼女は春高伝説のエース。
そして、数少ないリオデジャネイロオリンピックへ駒を進めた12人のひとり。

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彼女は鍋谷友理枝選手。

華々しい高校時代とは裏腹に
全日本ではサブでの活躍が記憶に新しい

独特のルーティンから繰り出すサーブは
「鍋谷が入ると点が取れる」
そう言われたラッキーガール。


・コートネーム:レイ

・シャツネーム:NABEYA

・生年月日:1993/12/15

・身長(cm):176.0

・最高到達点(cm)302.0

・サージャントジャンプ(cm)64.0

・出身地:東京都大田区

・出身校・前所属チーム東九州龍谷高校



■個人成績・戦績:

・個人タイトル

全国都道府県対抗中学大会
オリンピック有望選手賞

第64回全日本高等学校選手権大会
最優秀選手賞


・団体成績

・全日本

第一回U-23世界選手権 銅メダル


・Vプレミアリーグ

デンソーエアリービーズ

2013/14 Vチャレンジリーグ優勝



・高校

東九州龍谷高校

・春高バレー
第62回全日本高等学校選手権大会 優勝
第63回全日本高等学校選手権大会 優勝
第64回全日本高等学校選手権大会 優勝

・インターハイ
第62回全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会 優勝
第64回全国高等学校総合体育大会バレーボール競技大会 優勝

・国体
第64回国民体育大会 優勝


鍋谷選手と言えば春高三連覇の伝説のエース。
ピカピカの超高校級。

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長岡望悠選手がエースの頃、彼女は一年生。東九州龍谷高校に越境入学している。

淑徳SC時代、幼馴染みのチームメイト・大竹里歩選手は、名門・下北沢成徳高校へ入学。
親友は一転してライバル関係となる。

当時の東龍は全盛時代。岩坂、長岡選手の時代も含めると実に五連覇を成し遂げている。
鍋谷選手はまさに東龍黄金時代を作った大エース。

ハイライトは、鍋谷選手三年生のとき、大竹里歩選手率いる下北沢成徳と準決勝で闘った春高。両エースの壮絶な打ち合いとなったこの試合はフルセットにまでもつれ込み、鍋谷選手率いる東龍が死闘を制した。

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「うちに勝ったんだから、絶対に連覇してよね」
「絶対する、絶対する」

試合が終わってどちらからともなく駆け寄った二人は親友同士に戻り、固い約束を交わした。

鍋谷選手はこの約束を守り、氷上高校をストレートで破り、春高三連覇の大偉業を達成する。

そして二人は、デンソーエアリービーズで再びチームメイトになる。

敵から味方同士に戻った二人は、それぞれの立場で世界を目指した。

先に飛び出したのは大竹選手。

大竹選手は2011年に早くも全日本シニアに初招集。鍋谷選手は遅れること2年、2013年に全日本シニアに初招集される。

大竹選手が全日本シニアとしてワールドグランプリや世界バレー・アジア最終予選、グラチャンなどで脚光を浴びる中、鍋谷選手は第一回U-23世界選手権に出場。
実はこの時の集まったのが、後に全日本で、Vリーグの主力として活躍する錚々たるメンバーたち。

田代佳奈美、島村春世、鳥越未玖、野村明日香、伊藤望、藤田夏未、辺野喜未来、高橋沙織選手、そして古賀紗理那選手。

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鍋谷選手は日本の主力として出場。見事銅メダルを獲得した。
そして、この中の8名が全日本シニアに駒を進め、うち3人がリオデジャネイロオリンピックに出場するのだが、それはのちのこと。

2012/13シーズンにて7位に終わったデンソーは、日立リヴァーレとのチャレンジマッチに敗れ、チャレンジリーグへ降格。しかし、翌2013/13シーズンを17勝1敗の好成績で乗り切り優勝を果たすと、パイオニアレッドウィングスに連勝して、Vプレミアリーグ復帰を果たす。

しかし、2014/15シーズン、チームは軌道に乗れないまま7位でシーズンを終え、再度チャレンジマッチ出場を余儀なくされるも、PFUブルーキャッツの挑戦を退け、プレミア残留を果たす。

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そしてチャンスは訪れた。
鍋谷選手は2013年以来、久々の全日本シニア復帰を果たすと、古賀、宮部選手ら新世代の台頭が目覚ましい中、存在感をアピール。TVオンエアのないワールドグランプリ2015での決勝ラウンドで、イタリアを相手に伝説のフルセットマッチを闘いぬく。

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イタリア 3-2 日本
(20 - 25、25 - 20、28 - 30、26 - 24、24 - 22)

毎セットクロスゲームとなる大熱戦、特に第三セットは30-28、第四セットは26-24と驚異の粘り腰を見せる。最終セット、20点を超える大熱戦の中、鍋谷選手は先発出場し迫田選手に次ぐ24得点をマーク。一躍存在感をアピールし、眞鍋監督から合格点を貰った。

この時の活躍がきっかけで、鍋谷選手は全日本に定着。
続くワールドカップにも駒を進める。

役回りはピンチサーバーが主任務、地味な役割だが、彼女は人一倍アップゾーンを盛り立て、チームの雰囲気作りに貢献した。

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だが、彼女の頑張りは「鍋谷が出ると点が入る」と次第に認められていく。

ところが、いいことばかりは続かない。
全日本シーズンが終わり、デンソーに復帰した鍋谷選手には意外な落とし穴が待っていた。

2015/16シーズンは晴れてチームの一員として出場が認められた石田瑞穂選手をキャプテンに、脅威の粘りで奮闘。ところが、その石田選手が欠場してから状況が悪化、終盤負けが込み、7位に転落、再びチャレンジマッチ出場を余儀なくされた。

相手は昨年と同じPFUブルーキャッツ。しかし、怪我から復帰した江畑選手を加え、勢いづくPFUは第一戦を戦勝。デンソーは第二戦を勝利するものの、得失セット数で下回り、無念のチャレンジリーグ降格を余儀なくされる。

しかし、鍋谷選手に落ち込む暇はない。

2016年の全日本はオリンピックイヤー。
狭き門を勝ち抜かないとその先へ進めない。

中国親善試合のメンバーに漏れた鍋谷選手は、親友の大竹選手を見送ることになった。
ところが、それから間もなく、二人の立場は一変する。
今度は鍋谷選手がOQTの14名に選ばれ、大竹選手が漏れる。

高校でも、全日本でも、すれ違いの二人。
今度は鍋谷選手が表舞台に出る。

そして、チャンスは巡ってくる。
ペルー、カザフスタン戦で連勝を飾った日本に立ちはだかった韓国戦。
思わぬ事態に見舞われる。

エース・木村沙織選手が小指を負傷するアクシデント。
気丈にも試合に出続けたが、第一セットを接戦の末に落とすと、第二セットも失い、絶体絶命。
ここで眞鍋監督は決断する。負傷の木村選手と調子の出ない古賀選手を下げ、
鍋谷選手は石井選手とともに第三セットから出場。
水を得た魚のよう躍動する鍋谷選手は8得点を奪い、第三セットを取り返すのに貢献。
試合は1-3で敗れたものの存在感をアピール。

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更にOQT突破が掛かったイタリア戦。ここでも鍋谷選手は勝負の明暗が懸かった第四セットスタートから出場、5得点を上げ奮戦。このセットを取ったことにより、日本はリオへの切符をつかみ取った。そして、最終戦のオランダ戦でも先発出場した鍋谷選手はフルセットとなったこの試合で全セットに先発出場。11得点を上げ、チームの勝利に貢献。

こうして鍋谷選手はレギュラーと遜色のない活躍が出来ることを証明。
僅か12名の狭き門を勝ち抜き、晴れてリオデジャネイロオリンピックへ出場を果たした。

しかし、初戦の韓国戦を落とした全日本に、不安の色は隠せない。
そんな鍋谷選手のチャンスは母国開催にして強敵のブラジル戦。

完全アウェーという厳しい状況の中、鍋谷選手は第二セットスタートから出場、迫田選手に次ぐ8得点を上げるも、試合はストレートで敗戦。

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更に続くロシア戦ではスタートから出場するも1得点しか上げられず、チームは完敗。
暗雲が垂れ込める。

最後の一枠を懸けたアルゼンチン戦で辛くも予選を通過した日本だったが、遂に奇跡は起きなかった。
第三セット、木村選手を中心とした7連続得点が最後の見せ場となったが、日本は敗退。
鍋谷選手にとってもほろ苦いオリンピックデビューとなった。


あれから4ヶ月。

鍋谷選手は今、再びデンソーをVプレミアリーグへ押し戻すために奮闘中。
チームは全勝の上尾メディックスにフルセットの末敗れたのみの1敗で首位を追走中。

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当面の目標は勿論、Vプレミアリーグ復帰、そして、東京オリンピック。

これから続々と増えるライバルたち、勝ち抜くの楽ではない。
皆が皆、超高校級や大学一線級、そしてVリーグで凌ぎを削る各チームのエース級。

かつて伝説のエースと謳われた天才少女は、スーパーサブとして磨きを重ね、オリンピアとなった。

次は、次こそは、日本に鍋谷ありと世界にその名を轟かせたい。
今はその時に備え、いつでも活躍出来るように、その牙を研ぐ。

次は東京で、その雄姿が見られることを待っている。