スポーツは結果が全てだ。
だから、反応がダイレクトに繋がる。
ただ、世の中には後に評価されるものもある。

スポーツでも後に評価される場合が全くない訳ではない。裏方に回るコーチやアナリストなど、革新的な仕組みを作った人は後に評価される。

先日、全日本女子バレーボールチームでコーチを務めた斉藤健次さんが県立真壁高(桜川市真壁町飯塚)の保健体育教諭の斉藤健次さんが教諭に復帰したというニュースが流れた。

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今、指導する真壁高男子バレー部の部員は現在5人。13年に創部されたばかり。これまで携わったチームと比べると競技レベルはかけ離れているが「競技の楽しさ、チームワーク、人を思いやる気持ち。教えることはたくさんある」と意欲的。

日々、バレーボールを通じた生徒たちの育成という次の目標に向け、気持ちを新たにしている。
斎藤さんが、今後、どのような人生を歩まれるのか。
まだ、眞鍋ジャパンが解散して間もないため、あまり実感が沸かないが、もしかしたら、眞鍋ジャパンの功績が、本当の意味で評価されるのは、これからかもしれない。


ところで、世の中にはおとぎ話のような話がある。

そう、これから綴る内容は
大人のおとぎ話。

その昔、ロバート・ジョンソンという男がいた。

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後に彼はキング・オブ・デルタブルースと呼ばれることになるのだが。

それは以下のお話。

ギターを片手にアメリカを渡り歩いていたジョンソンは、真夜中に四辻で悪魔と遭遇し、魂を売り渡したという。

それから彼は自由自在にギターを弾きならせるようになったという。

これがのちにアメリカで広く伝わった「クロスロード伝説」だ。
もっとも、伝説として広まるのは彼がこの世を去ってからかなり後のお話。

ジョンソンは1930年代、一説によると不倫した相手の夫に毒殺されたのだとか、不慮の死を遂げた。
1930年代というと日本でいう昭和初期。当時は世界恐慌が起こった時期。満州事変が起こり、日本は国際連盟を脱退。以後、第二次世界大戦への道を進んでいく。

ところが、若くして死んだ彼のブルースは、そののち、海を隔てたイギリスの地でヒットし、彼は死後30年以上経ってから伝説になった。

彼が作ったクロスロード・ブルースは伝説のバンド、かのエリック・クラプトンが在籍したクリームがカヴァーし、アップテンポのブルースロックとして生まれ変わり、大ヒットする。

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彼が悪魔に売り渡した魂は、時を超え多くのリスナーを虜にした。

日本にも同じような境遇の人物がいる。

かの松尾芭蕉だ。
彼が生きていた当時、俳諧は世間では認められておらず、どこへ行っても気違い扱いされたらしい。

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だから、例の奥の細道の紀行は、俳諧が社会的地位が確立されていなかった当時のことであり、俳人としての旅は行く先々で大変で、まともに相手にされなかったらしい。今でいう貧乏旅行のヒッチハイカーみたいなもの。

事実、芭蕉が評価されたのは彼の死後のことであり、前述のロバート・ジョンソンも黒人ゆえに人種差別のきつい当時のアメリカだから、相当に苦労したことだろう。

事実、ブルースは黒人の中でのマイナーミュージック扱いで当時、黒人の音楽は黒人専用のラジオでしか流されず、アメリカ全体のヒットチャートに上ることはなく、10万枚も売れればビッグヒッツ、そんな時代だった。

だから、ジョンソンが死んで30年以上経った1960年代、海を隔てたイギリスでブルースがヒットしていたことは、アメリカ国内でも低く見られていたブルースと黒人の地位向上に大いに役にたったのは言うまでもない。

時と場所は変われども、自らを貫いた二人は死して英雄として名を残し、語り継がれる存在となった。

それは生き方そのものであり、そうした人間は決して多くはない。

虎は死して皮を残すというが、死後評価される人間が本当の意味での英雄なのかもしれない。
あと30年後、今のバレーボール界がどのような歴史を刻み、誰が評価されるのか。

今はまだ、知る由もない。