まず、今日お昼にアップした
「僕が君を知ってる」と言う記事について。

あれは全日本男子監督が内定している中垣内さんへの励ましメッセージでもある。

~良いことしても悪いことしても、きっと誰か見てるし、見てなくても、いずれは返ってくる
起きたことは仕方ない、反省するなり、誠意を見せるなりして、前を向こう~

そんなメッセージ。


目先のことに捉われず、大きなことを目指さないといずれは先細りするだけ。
だから、反省すべき点は大いに反省し、やるべき時は思いきってやる。

一の行動は百の理屈に優る。


ところで、世の中に一見すると無駄で無意味と取られがちなが多々ある。

「精神論」 と「結果論」だ。

この二つ、都合が悪いときの詭弁と取られがちだが、要は解釈の仕方次第だ。

精神論とは、辞書によると「人間の精神力が、物質的な劣勢を、跳ね返せるとの立場を指す」とのこと。

困った時、行き詰まった時の苦し紛れに取られがちだが、本来はそういうものではない。勝負事はメンタルが大事。

𠮟咤激励も、それで気合が入るという側面がある。
人間は必ず理屈で行動する訳ではない。
怖いからやらざるを得ないとか、勇気づけられる場合もあるからだ。

近年、ラグビーの五郎丸選手で有名になったルーティンというのがある。

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バレーボールでいうと木村沙織選手のレシーブ前の動作、或いは鍋谷選手のサーブに入る動作なども該当する。

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その動作をすることで精神安定と集中力を高める。

かつて、プロ野球の桑田投手がマウンド上で何やらボールに向かって話しかけていたが、あれもひとつのルーティンともいえる。

これと精神論は少し違うかもしれないが、ともにメンタルと関係するという点では共通かもしれない。


そして、精神論よりももっと無意味と取られるのが
「結果論」

辞書によるとこうらしい。

「原因・動機などを考えずに、物事の結果だけをみて行う議論」

この文字だけ受け止めると、かなり不毛な論議である。

実際、終わったあとなら何とでも言えるという言い訳に取られることも多いだろう。
後からこうすれば、ああすればいいのにと、何度強調するとただのボヤキである。

ということは、原因・動機などをきちんと考えれば、結果論は単なる無駄ではなくなるということだ。

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日本ではあまり良い言葉として捉えられていない「精神論」と「結果論」。
適正に使うなり、突き詰めて使えば、それは大いに有意義なことなのかもしれない。


何するにせよ、物事はやり方次第、使い方次第。

素材を活かすも、殺すも、結局は使う側の知恵と器量次第。